「メルケルずっといね?」なぜメルケルはドイツ国民から人気があるのか?
アンゲラ・メルケルはドイツの首相である。
先進国では珍しい女性のトップということもあり、首脳会談やサミットの場では一際目立つ存在である。
ただ、私がずっと思っていることがある。
もちろん今もバリバリ現役なのだが、そういえば2008年の洞爺湖サミットの時もいたような…
長く首相を務めているということはそれだけ国民から支持があるということ。
日本が目まぐるしく首相が変わっていた間もドイツはずっとメルケルがトップに君臨していた。
一体なぜなのか?
そこには国民の心をいち早く掴み、即行動するという彼女の卓越した能力が大きく関係しているのだが簡単に一言でいうならば
「悪いことは悪いこと。しっかりと謝る。」
これができているからだと思う。
東ドイツで生まれたメルケルは数学と物理が得意な秀才として大学に進学する。
実は大学時代に結婚したその相手の名字がメルケルなのだ。
その後離婚をしたが今もその姓を使い続けている。
ベルリンの壁崩壊をきっかけに政治に興味を持ち始め、そこから彼女の活躍が始まる。
メルケルが国民から支持を得た4つの出来事をあげる。
①悪いことは悪いとハッキリ言える
まず当選したばかりのメルケルを大臣に任命した恩ある首相の闇献金問題が発覚すると、それを厳しく批判した。
メルケルが「第二の鉄の女」と言われるようになった由縁である。
自分をエリート街道に進ませてくれた人を批判したのだ。これは政治家にはなかなかできないことである。
②卓越した政権運営
ドイツ史上歴代最年少の首相として就任したメルケルは大連立政権のもと指揮を執る。
大連立とは1つの政党で議席が獲得できずに野党第一党と組むことを意味する。
日本でいうならば自民党と民主党が手を組むというまさに水と油状態の政権なのである。
しかしメルケルは積極的な外交政策と失業率の低下、そして高い経済成長を実現させその人気を高めた。
③トップとしての謝罪
ドイツと言えばユダヤ人大量虐殺の歴史がある。600万人もの命を奪った。
メルケルはドイツという過去に大量虐殺をしてしまった国のトップとして、正式にユダヤ人国家のイスラエルを訪問し謝罪をしたのだ。
また第二次世界大戦の引き金でもあるため戦争責任も重く受け止めている。
ドイツとして今までもこれからも謝罪をし続けていくという意思表明をしっかりとし、それを愚直に行っているのだ。
④脱原発への移行
2011年福島第一原発事故が発生し、世界レベルで原子力発電への是非が問われ始めた。
記憶にも新しいが真っ先に脱原発を発表したのは紛れもないドイツだ。
メルケルはもともと原発推進派だった。しかし福島での事故のわずか4日後には脱原発を表明するのだ。
「日本ほど技術水準の高い国でさえリスクを制御できなければ不可能である」として、日本が原発の運用をどうするかでしどろもどろしている間にメルケルは即刻原発廃止を表明するのだ。その決断の速さは並外れたものではないだろう。
普通の政治家には絶対にできない。なぜならば自分の考えは間違っていたと素直に認めることになるからだ。だがメルケルは決断した。
なぜならば過去にはチェルノブイリ、そして福島の事故で国民の反原発感情が高まっていたことを理解していたからだ。
メルケルが長くドイツの首相にいるのは、国民から人気があり、その人気は彼女の政治手腕、決断力、そして実直で誠意ある行動からきているのだろう。
メルケルは「悪いことは悪いとし、しっかりと謝罪する」というどの政治家もできない当たり前のことがしっかりとできているからこそ国民から支持を得られるのである。
プーチンは元スパイ!イーサンハントも顔負けのその素顔とは
現ロシア大統領のウラジーミル・プーチン。
長くロシア政権を引っ張っているイメージだが、大統領になる前は実はエリートスパイだったのだ。
プーチンは学生時代、喧嘩っ早いことで知られていた。
小学生時代から習っていたロシア式の武術であるサンボを武器にワル中のワルになっていたのである。
ちなみにサンボとは柔道やレスリングを合わせたような軍隊格闘術である。
柔道にも長けており大会でも優勝するほどの腕前である。
そんなゴリゴリ体育会系なプーチンは大学卒業後、KGB(国家保安委員会)というスパイ組織に所属していた。
当時の奥さんにはスパイということを打ち明けず、警察官を装っていたというのだからまさにスパイのやり方だ。
その後下積み時代を経て、KGBの後身であるFSB(ロシア連邦保安庁)のトップに就任する。
FSBは国内のスパイ機関である。
ここでプーチンはその手腕を存分に発揮するのだ。
当時の大統領であるエリツィンを徹底的に守り抜くため、エリツィンを批判し蹴落とそうとする敵となる政治家が売春婦といちゃついてるところを盗撮し女性スキャンダルを仕立て上げたり、巧妙な手法で相手を撃ち落としていった。
そしてさらに恐ろしいのはプーチンを批判する者たちが次々と不審な死を遂げていったことである。
プーチン政権を批判していた記者が自宅で何者かに射殺されたり、告発をした元KGB職員がロンドンで毒を盛られて死んだりした。この毒は放射性物質であり大規模な原子炉がないと生成されないものであるという。まさにおそロシアだ。
こうしてプーチンはスパイ長官という地位をうまく使い、のちに首相まで上りつめ大統領となるのである。
「私もEUの仲間にいれて!」トルコのEU愛とダークサイドに落ちるまで
EU(ヨーロッパ連合)はイギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどのヨーロッパ諸国からなる共同体である。
共通通貨のユーロを有し、国境を超える際ビザもいらない(加盟国に限る)。
そんなEUの仲間にいーれて!と言ってきているのが東ヨーロッパに位置するトルコだ。2005年からEU加入へ向けて交渉をしてるが認められていない。
実はEUの前身の時からトルコは加盟を希望しており、なんと加盟希望から50数年が経っているのである。
なぜそこまでしてトルコはEUへ加盟したいのか。
そしてなぜEUは加盟を認めないのか。
トルコがEUへの加入を目指す目的は大きく3つ。
1つ目は経済面だ。
加入が認められればビザなしで行き来ができるようになる。自由に行き来できれば就労の機会も増えるし、何よりトルコは歴史ある国。観光客が来やすくなればそれだけお金を落としていってくれるということだ。
2つ目は今までの歴史にある。
トルコは昔からヨーロッパの一員と考えられることが多く、東欧と言われているようにオスマン帝国時代はヨーロッパの東側を牛耳っていた。
だから自分たちは今でもヨーロッパであると考えているのである。
3つ目はイスラム教徒の抑制である。
キリスト教徒よりもイスラム教徒が多いトルコだが、トルコの建国者ムスタファ・ケマルはイスラムを切り離そうとしてきた。そうすればほかのヨーロッパ諸国のように繁栄できると考えられてきたのだ。そのため、EUに加盟できればはキリスト教諸国の集まりなので、イスラム主義者・イスラム主義政党を抑えつけることができると考えているのだ。
これがトルコがEUへの加入を望む理由である。
ではEUはなぜトルコ加入を嫌がるのか。
これも大きく分けて3つある。
1つ目はイスラム教徒が多いこと。
先に述べたようにEUはキリスト教諸国の集まりなので、そこにイスラム教徒が多い国が加入すれば必ず軋轢が生まれると考えているからだ。
2つ目は人口の多さ。
EUの議席はその国の人口で決まるがトルコは7000万人と人口が多いため、もし加盟が認められればEU内で強力な力を持ってしまう恐れがある。
3つ目はキプロス問題。
2004年にEUに加盟したキプロス。実は長きにわたりトルコ系民族とギリシャ系民族の間で対立があり、当然トルコはトルコ系民族を支持していたため、北と南に分裂する事態となってしまう。
キプロスとしてはトルコに国内をめちゃくちゃにされたのでトルコが嫌いだ。
そこで問題が出てくる。
EUへ加盟するには全ての加盟国から承認を受けなければならないのだ。
当然キプロスはYESと言わないだろう。だからそもそも加盟は無理だろうと考えているのである。
ただし当然上記の理由を大っぴらに公言できないため、EUとしては加入にあたり様々な条件を突きつけた。
その中でも大きなものが死刑制度の撤廃である。
トルコは加盟交渉のために死刑制度も撤廃したのだ。
そこまでしてもEU加盟への道は険しかった。
エルドアン大統領もEU加盟を掲げつつも独自路線を強めていく。
トルコは加盟へ向けて一心に頑張るがEUは振り向いてくれず
やがて愛は憎悪に変わる。。。
ライトセイバーは赤色に変わり、オスマン帝国の復活を目指すトルコの独裁が始まるのであった。
なぜ親日派?トルコの日本への想い。
トルコは親日派として知られているが、そこには長い歴史が関わっている。
きっかけは1890年に起きた「エルトゥールル号事件」がある。
オスマン帝国時代に派遣された軍艦エルトゥールル号が日本近海で台風に合い沈没してしまい500人以上の死者が出た。この時に地元の人々の懸命の救助活動で数十人を救い出すのである。さらに当時は台風で漁にも出れていなかったため食料の備蓄もわずかだったにもかかわらず、住民たちは卵やイモ、非常用のニワトリまで出せる食料をありったけ集め介抱したのだ。
そして日本政府は救助された人たちをトルコまで送り届けたのであった。
この出来事はトルコの学校の教科書にも載っていたという。
さらにその十数年後に日露戦争が起きる。
日露戦争は大国ロシアに小国日本が勝ったことでも知られている。
ロシアは極寒の国。国の港は冬になると凍ってしまうので経済や外交に大きな影響が出る。そのため何百年という歴史の中で幾度となく凍らない港を求めて南に侵略する傾向があった。トルコはロシアの南に位置しているので何度も侵略を受ける。
つまりにっくき相手なのである。
そんなにっくきロシアにあの恩ある日本が勝ったのだから「日本マジスゲー!日本サイコー!」なのである。
その他にも、イランイラク戦争時にトルコが日本人の救出にあたったり、トルコが地震に見舞われたときに日本がいち早く救援物資を送ったり仮設住宅を無償提供したりと、トルコと日本の間には長い歴史の中で築いてきた友好関係があったのだ。
イスラム国対等の陰にトルコあり。国際社会から非難される理由。
2019年現在では「イスラム国」は壊滅状態にあるが、一時期は世間を賑わせた。
その裏にはトルコが絡んでいたという。
どういうことか。
イスラム国とは2014年ごろに勢力を拡大した超過激派集団である。
アメリカのイラク攻撃によりフセイン政権が倒れ、イラク国内が内戦状態になり、国内が混乱状態にある中でイスラム過激派が次々と集まってきてイスラム国が形成された。
しかしあまりに過激なためイラク国内では支持を得られなかった。
一方隣の国シリアではアサド政権と反政府勢力の内戦が起きていた。
反政府勢力を応援する諸外国から武器や資金が流入していたが、イスラム国はここに目をつけシリアへ介入し、武器や資金を奪い勢力を一気に拡大する。
ではトルコがどう関わったのか。
エルドアンはアサド政権のやり方を嫌っていて、「アサド政権を、ぶっこわ~す」と常に言っていた。
つまり反政府勢力の肩を持っていた。その中にはイスラム国もいたのだが彼らの行動を黙認していたのだ。
ニュースでたびたびイスラム国は世界各国から若者を集めてテロ組織の一員にしていると報じられていたが、イスラム国を目指す際にはトルコ国境を越えなければならない。
しかしトルコは国境管理を厳しくはしなかったし、イスラム国の資金源である原油の密輸もトルコ国境で行われているのに見て見ぬふりをしていたのである。
トルコが本気で過激派を封じ込めようとすればできたはずなのに、それを怠ったために世界各国でイスラム国によるテロが過熱していってしまったともいえるのである。
「最強民族部隊」クルド人の危機?トルコのシリア侵攻
トルコが2019年10月シリアにて軍事作戦を開始したとニュースで報じられた。
これは今に始まったわけではない。
トルコは過去に3度もシリアに侵攻している。
なぜトルコはシリアに攻めるのか。
これは非常に複雑を要する。
シリアは2011年から内戦が続いておりシリアを支配するアサド政権を倒すべく、欧米やトルコは反政府組織を立ち上げ、資金や武器を援助しアサド政権打倒のため立ち向かわせた。
しかしうまくいかず、最悪なことに反政府組織へ渡していた資金や武器が第三勢力によって頻繁に奪われるようになってしまう。イスラム国だ。装備が充実したイスラム国は勢力を拡大し支配地域を拡大させ、欧米諸国へは頻繁にテロを仕掛けていた。
そうなると当然黙っていないのはアメリカ。しかしアメリカ軍を現地に送れば少なからず巻き添えを食らってしまう。そう考えたアメリカはイスラム国を倒すため、現地の最強民兵組織のサポートをすることで自分たちの手を汚さずに内戦に加入する。その第四の勢力がクルド人だ。
クルド人は独自の国を持たない世界最大の民族集団である。
大国からの強力な武器とそれを扱う練度の高さゆえにその戦闘力は一国の軍隊に匹敵するといわれる。いわば最強部隊。
そして現在に至る。
アメリカが突如シリア北部からの撤退を表明したのだ。つまりクルド人への裏切りである。
アメリカ軍の支援がなくなり、トルコは以前から「テロ組織」と認定しているクルド人を掃討するためシリアへ侵攻を始めた。
クルド人はトルコ軍の侵攻を食い止めることに精一杯でイスラム国への牽制が弱くなってしまっている。イスラム国がまた力を取り戻すきっかけになってしまうのではとアメリカへの非難もある。
このままではトルコ軍に攻められてしまうクルド人は敵の敵は味方ということでアサド政権と手を組んだ。
そして今まさに戦闘が始まっているのである。
この複雑な関係を理解するのは難しいが、それぞれの立場を理解できれば「なぜ?」がわかってくる。
首相から大統領へ。エルドアン、独裁者になるってよ。
エルドアンが被選挙権を回復し首相に就任したのは2003年。
何も最初から独裁者だったわけではない。
独裁者というのはいつの時代も国民から一定の支持を得られるからこそ独裁できるというものだ。
彼はトルコ経済に大きな貢献をした。
首相に就任すると経済の構造改革に取り組み、財政を健全化してインフレを抑え込んだ。つまり日本のようにバブルに浮かれずに崩壊を未然に防いだのだ。
そして国内の政治も安定したことで国外からの投資も進んでいき高度経済成長を実現した。国民一人当たりの所得は2002年から2013年まででなんと3倍に上がったという。
エルドアン様様である。
さらにエルドアンが国内だけでなく国外でも人気を集めた出来事がある。
特に中東地域において存在感を高めたのがイスラエル批判だ。
当時、イスラエルがパレスチナのガザ地区に侵攻したことに対し「イスラエルは人殺しだ!」と国際会議の場で堂々発言したのだ。イスラエル問題は宗教だけではなく、イスラエルをバックアップするアメリカとの関係も複雑に絡む問題である。
各国がイスラエル問題になるとぼんやりとした発言なのに対してこの発言だ。
これに拍手を送ったのはパレスチナ人やアラブ人。
エルドアンは中東において一躍英雄となるのである。
ここまではまだ”人気”があるだけ。
ではどのように独裁を進めていったか。
トルコは日本と同じ議会制民主主義の国である。国民から国会議員を選び、その国会議員の中から首相を選ぶ。首相は政治的実権を持っている。
では大統領はどうなのか。
日本では馴染みがないが大統領というのは国家元首にあたる。国家元首というのは国の代表みたいなもの、つまり国のトップ。
イギリスならエリザベス女王だし日本なら天皇である(明確に言うなら憲法には規定されていないが…)。
本来であれば大統領は行政権を持っていない。
しかしエルドアンは国のトップを目指した。
トルコでは2007年に大統領を国民の直接選挙で決めるように憲法が改正された。
トップを目指すエルドアンはもちろん立候補。見事2014年に大統領に就任するのである。
首相には自分に従順な人物を置き実質的に政治も支配。
そしてついに大統領に強力な権限を持たせようとする憲法改正に踏み切り可決されたのである。
これからトルコはどうなっていくのか。大統領から目が離せない。